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ぽかり

Author:ぽかり
…最近、やりたいことが、
まるで雲間から日がさすように、ぼんやりと、
…でも輝きながら見えてきました。 

 私は、某企業のサラリーマンであり、

 鬱、自律神経失調症の克服経験がアリ、

 心理認定カウンセラーでもあり、

 母親の介護もしています。

 悩みのHPでの回答とメルマガ発行は9年
 継続中です。
 
 ☆「私のこれまでの行動にウソはなくてよ」

 …私を知るには最高の情報群です!(ブログ、FBページ) 

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DATE: CATEGORY:本の紹介
 


 甲野氏を知ったのは、個人的に好きな養老孟司氏と
共著をされていたことがきっかけです。 

 今回の本の内容を整理してみても、養老氏の”バカの壁”の
中の指摘…人間が独自にもってしまう”壁”に関しての
お考えで共通している部分が多いな~と感じています。

 今回のまとめでは、あまり触れていませんが
鎖国後から明治の間に日本人は身体感覚まで侵されてしまったと
私は感じています。

 「ナンバ歩き」を滑稽におもっているだけでは
この国、世界の”定形人間”にはまってしまう…。

 よりよい未来の為に

 ”一流””正しい””正式”という、我々の発展、進歩を
阻害する”窮屈さ”に如何に立ち向かうか、

私たちの革命精神…覚悟が求められているのかも知れません。 




身体から革命を起こす 甲野善紀氏 田中聡 著 新潮文庫 平成19年9月出版 520円


【甲野氏の哲学の源】


・命がけのような状況がないと、常識的な動きを破るほどの身体運動が露になることもなく、暗黙の約束事に安住し続けがちなわけだ。

・自分がこうやっているよ、と言う事を見せ、体験させる。自分はこう考えているよ、ということを話す。それを参考にしてやってみようと思うなら、どうぞ。これが甲野の指導のあり方である。

・ねじれは、固めた支点を蹴る運動だから、必ず筋緊張を伴い、それは身体の内部を硬直させ、動きを癒着させている。

・近代では、身体の多様性に対する忌避感が高まり、労働の刻印された身体は軽蔑されるようになる。それは、頭脳を尊重し、身体を軽視するということと同時に進行した、社会の根底の大変動であった。

・私は、私が行っている技、つまり身体の使い方について、それが、正しいとか良いと思ったことは一度としてない。


【甲野氏の考える”壁、障害”】


・選手がどんなに自分なりに工夫してやっていても、指導者が理解できないことだと、すぐに生意気と言われたり、ムッとされたりしてしまうのです。

・「正しいこと」はそれを「正しい」としてきた人々の権威と一体化しており、その「正しさ」を揺るがすことは、タブーである。「この正しさ」の伝承のために行われるのが反復練習である。

・スポーツには、「アマチュアらしく」「高校生らしく」「スポーツマンシップ」といった精神性が語られがちだ。それらがフェアなゲームに徹して力を尽くすというような意味であれば大切なこととも思うが、フェアということが工夫の排除を意味するようなら、弊害も大きい。

・利権複合体としての社会システムは、楽しむための営みをも利権化し、楽しくないものにしてしまう。

・すごいと思っても、やって見る前に「難しいですね」って言って、自分ではやろうとしないんです。

・介護技術で、今日の資格認定試験や学校教育で「正しい」とされている技術が、現実にはかなり無理のあるものだということは、現場にいる多くの人が実感していることらしい。

・教育課程が現実離れしているとすれば、正当なシステムの中の順当な道を歩んだ人は、空洞化した知識しかえられない。正規のコースを外れて自分で歩んだ者は、「正しいこと」を教わらないおかげで、自分で考え工夫するチャンスを得られる。「正しいこと」は、人から生きる力を奪うものになっているわけである。

・介護に限らず、教育課程や資格試験制度が権利の巣でしかない現状にあっては、現実に使える技術を伝えていくゆくというだけの事が、巨大な利権の巣でしか無い現況にあっては、現実に使える技術を伝えていくということだけが、巨大な利権システムへの攻撃となる。

・量子力学の不確定性原理がいうように、計測しようとすることが対象を変化させてしまう。知ろうとすることは、その知りたいものの内容を変えてしまうのです。


【恐怖】


・生活のレベルって言っても、いろいろありますもんね。戦争中みたいなことを考えたら、なんでもない。

・現代を支配している最低基準を満たしていなければいけないっていう共同幻想みたいなものがあってそれを必死に守ろうとしている感じがしますね。

 
【心身・身体の可能性】


・身体は、あらゆる部分で微妙多様な動きが複雑にからみあっていて、おかれている状況によっても違ってきます。その要素は無限大にあって、とても単純化した理論で説明しきれるものではありません。ちゃんと現実を観察していれば、どうしても曖昧になるんだから、科学などにしなければいいんです。

・実感と思う中にひそむ観念性を見抜き、生きているものとしての身体を見出さなければ、いくら身体や感覚が大切だと言っても、結局は観念を見ているだけに終わりかねないのだ。

・思考と身体感覚が結びついてきて、その感覚が「できる」という感触を持った時には、頭のほうでも、なんとかなくやり方を思いつくようです。思考は身体感覚によって生まれるものと言えるかも知れないですね。

・身体感覚の幅が広がれば、そこから生まれる思考の幅も広がる。歩き方がひと通りしか無いと決めつけることは、思考をもひと通りの枠の中に閉ざしてしまうことになりかねないということだ。

・昔の楽器を演奏しにくいものと感じさせているのは、今日の楽器が改良されたからというより、楽器に向かう身体が変わったからなのではないだろうか。

・世界が休むこと無く流動していると理解することは、観念的にはたやすいことだが、そのように体験し、その流れに即応して動くということは、至難の業である。概念化して固定されたものとして世界をみている我々の意識は、流れを、流れそのものとして把握することは出来なからである。

・論理や言葉は同時進行的には把握できない。しかし、視覚なら同時に処理できます。身体の感覚は、そういう同時並行的な処理なんです。優れた動きほど(ミュージシャンのリズムを取る動き、運転時の手足等)同時処理ができている。

・最近の人間のコミュニケーション力や状況力への衰えを、身体能力の衰えによることと見る。その意味では、身体の能力を導き出すような環境作りとは…普通に言えば、不便な環境となるだろう。


【超・常識】


・人はコロ(丸太を並べた上に台車を置き動かす場合の丸太)で運搬する工夫に一生懸命になればなるほど、車輪にするという根本的な発想の飛躍には向かいにくくなる。甲野には、今日のスポーツ界の現状はそのような状況に見えるのである。

・小成は大成を妨げる最大の要素である。そこそこの成功は、それ以上のものを追求させないための強力な目かくしとなる。

・甲野が、移動は足で蹴ってするものだという常識を超えられたのは、まず現実への対処を優先したからだった。より速く動かなければ殺されるというシビアな条件せっていのもとで、どうしても必要なことを実現しようとしたのである。甲野のいう「仕事感覚」とは、ひとつにはこういうことだろう

・学校教育も、「正しいこと」を教えるのを止めて、教師が率先して疑ったり、工夫したりする人になったらどうだろう。

・支点をなくすということは、身体を局所的に使うのではなく、つねに全体を同時に使うということである。全体が同時に動いていないということは、止まっているところ、すなわち支点があるということだからである。

・身体がより細かく割れてサッと動けば、大勢で引っ越しの荷物を運ぶようなもので、早く済む。

・すぐ使えるということは、どんなに不意な状況でも、自在に応じることができる、動くのに、いっさいの準備がいらないということ。それを甲野氏は、「予測しない動き」と呼ぶ。言い換えれば、「隙がない」ということだろう。支点がなく、つねに全体で動いている状態だということである。

・「ひとはこう歩くものだ」という固定的な視点を外してみようということを言いたいんです。歩き方のような、もっと基本的な身体の使い方ですら、多様化できるものだと自覚する事に意味があると思います。

・歩き方が一通りではないと理解することが発想の転換につながるのは、たんに歩き方にさえ別の方法があるのだったら、当たり前と思っている他のことにも別のやり方があるのではないかとか、「ナンバ的な歩き方は、ボウリングにも応用できるのではないか」といった類推や応用を促すからではなく、別の歩き方を理解した身体による発想は、おのずから変わるからである。身体が変われば思考も変わる。

・雑巾がけの際に「身体全体の力をうまく伝えるにはどう動いたらいいかな」と考えながら、自分の身体と向かい合いながらやれたので、けっこう楽しめて、あっという間にピカピカになり、ああ布切れ一枚でこんなにすがすがしいと感じて、とっても気持ちよかったです」

・医学的には説明できないような出来事も起こりますよ。神経が損傷していて動かないはずとされる部位に、ふいに動きが起こったりしますね。

・トレーニングは競技でも生活でもない。将来に向けての努力である。鍛えられているのは、生きている今とは無縁な身体である。構造として鍛錬されるのは、時間が止まっている身体なのだ。


【未来に向けて】


・不思議現象は、自動的に人間の認知から排除されますよね。しかし、社会現象というのは、ある臨界点を超えると、倍々ゲームみたいに広がっていきますが、それを目の当たりにしているような気がしましたね。

・自分の心内に怒る感情も含めた自然現象は、2次元的方法では、本質的に理解することは不可能なのである。その為、俳句などは、言語という2次元的道具を用いながら、感覚に訴えるという三次元的世界を現出させ、その無意識に生まれる空間が芸術となったのだと思う。

・最近の若い子の特徴は、とりあえず難しいことに手を出そうとしない、やってみようとしないことですね。そして、やってみて、初めて自分の可能性に気づく。自分のことがわかっていない子が多いんですよ。ようするに答えがあることしかやらないんですね。

・カウンセリングの場では、一対一でそれぞれの流れが問題になる。身体と身体が出会えるのは、その流れの同調がとれたときである。

・できるかどうかわからない、本当に高い目標に向かってチャレンジしているわけです。答えがあるかどうか、わからないことを、一生懸命やってるじゃないですか。そういう考え方とか精神を感じ取って欲しかったんですよね。

・原理がわからないときの、一つのアプローチとして、真似してやってみようということがあるわけです。人間型ロボットは、歩けて完成した時に、原理がわかった。原理の研究でもあったわけですね。

・今の世に悲観的であればあるほど、アクロバックに未来への希望を今につなぐしかない。

 最後まで読んでいただきありがとうございました。

身体から革命を起こす (新潮文庫)




甲野善紀 進化の過程 (Gakken Mook)




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テーマ : 心、意識、魂、生命、人間の可能性 - ジャンル : 心と身体

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